江戸末期~明治 | 京都の行商として東京進出し、荒物商として砥石や日用品を販売 | |
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明治中頃 | 京都から東京に拠点を移す | |
大正12年~ | 関東大震災後に3代目野村忠治郎が東京かっぱ橋に店舗再建 | |
昭和20年 | 店舗が戦火で焼失 | |
昭和21年 | かっぱ橋の店舗再建 | |
戦後の物不足の中、京都から布団や日用品を取り寄せて販売 | ||
昭和26年 | 東京浅草の田原町に本店移転し、田原町のといしやとして砥石専門店を展開 | |
昭和30~40年代 | 中山合砥石を中心に砥石専門店として高度経済成長下の産業を支える | |
京都の日本砥石礦業株式会社と関係強化し、礦山に職人を派遣 | ||
野村俊麿が天然砥石の礦山で修行 | ||
昭和50年代~平成 | 人造砥石の普及により天然砥石礦山が相次ぎ閉山 | |
平成24年 | 四代目野村博が他界したことにより、田原町のといしや閉店 | |
平成30年 | 博の弟、野村俊麿がのれん消滅を危惧してインターネット上でといしや再開 | |
令和3年 | 田原町のといしや店舗を再開 | |
令和5年 | オリジナル人造砥石「朔」シリーズを販売開始 | |
「株式会社といしや」として法人に改組 | ||
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